「パートや契約社員を正社員にしたいけれど、人件費の増加が心配…」「助成金があると聞いたが、自社が対象になるのか、いくら受け取れるのかよくわからない」――そんな悩みを抱える経営者・人事担当者は少なくありません。キャリアアップ助成金の正社員化コースを正しく活用すれば、1人転換するごとに最大80万円(生産性要件達成時)が支給され、採用コストを大幅に削減しながら人材の定着・戦力化を同時に実現できます。本記事では制度の仕組みから申請手順、受給事例まで具体的に解説します。
キャリアアップ助成金は、非正規雇用労働者のキャリアアップを促進するために国(厚生労働省)が設けた雇用関係助成金です。財源は事業主が毎月納める雇用保険料の一部であり、申請した事業主に対して後払いで支給される仕組みです。2012年度に創設されて以来、毎年多くの中小企業に活用されており、2024年度の支給決定件数は全コース合計で約12万件(厚生労働省集計)に上ります。
助成金の中でも特に活用度が高いのが「正社員化コース」です。有期雇用労働者・短時間労働者・派遣労働者などの非正規雇用者を正規雇用労働者(正社員)へ転換または直接雇用した事業主に対して助成金が支給されます。「補助金」と違い、申請書類が揃っていれば原則として支給され、審査で落選するリスクが低いのも大きな特徴です。
2025年度以降の正社員化コースの支給額は下表のとおりです。中小企業と大企業で異なり、さらに生産性要件(3年間で生産性が6%以上向上している場合)を満たすと加算があります。
| 転換の種類 | 中小企業(通常) | 中小企業(生産性要件) | 大企業(通常) | 大企業(生産性要件) |
|---|---|---|---|---|
| 有期→正規 | 60万円 | 72万円 | 45万円 | 60万円 |
| 無期→正規 | 30万円 | 36万円 | 22.5万円 | 30万円 |
| 派遣→正規(直接雇用) | 30万円 | 36万円 | 22.5万円 | 30万円 |
※上記は2025年4月時点の情報をもとにしています。毎年度改定されることがあるため、申請前に必ず最新の厚生労働省告示を確認してください。
※1事業所あたりの年度内支給上限は20人分(有期→正規)です。仮に中小企業が20人を有期→正規転換し、生産性要件も満たした場合、理論上の最大受給額は72万円 × 20人 = 1,440万円となります。
2024年度以降、「正社員転換後に基本給を転換前より5%以上増額することが支給要件に追加」されました(2024年10月1日以降の転換分から適用)。これは単に雇用区分を変えるだけでなく、実質的な処遇改善を伴う転換を促す目的で設けられた要件です。書面上だけの正社員化では受給できないため注意が必要です。また、就業規則の正社員転換規定に関しても、「転換できる旨が明記されているだけでなく、転換の基準・手続きが明確に定められていること」が審査でより厳格に確認されるようになっています。
キャリアアップ助成金を受給するには、事業主側と労働者側の双方が要件を満たす必要があります。まず事業主側の主な要件を確認しましょう。
第一に、雇用保険適用事業主であること。雇用保険に加入していない場合は申請できません。第二に、キャリアアップ計画書を転換日の前日までにハローワークへ提出・受理されていること。計画書は「これからどのように非正規労働者のキャリアアップを支援するか」を記した書類であり、助成金申請の前提条件です。第三に、転換日の前日から起算して6ヶ月前の日から1年を経過する日までの間に、解雇・雇い止め(事業主都合)による離職者がいないこと。第四に、就業規則または労働協約に正社員転換に関する規定が整備されていること。
転換される労働者側にも以下の要件があります。
有期雇用労働者から正規転換の場合:転換日時点で、同一事業主のもとで通算6ヶ月以上継続して有期雇用されていること。かつ、転換後は「無期雇用」かつ「週所定労働時間・日数が正社員と同等以上」の正規雇用労働者となること。2024年10月以降の転換では、前述の基本給5%以上増額要件も必要です。
無期雇用労働者から正規転換の場合:転換日時点で同一事業主のもとで無期雇用かつ6ヶ月以上継続勤務していること。無期転換ルール(労働契約法18条)で無期化された後に正規転換する場合も対象になります。
派遣労働者を直接雇用する場合:派遣期間が同一事業所で6ヶ月以上あること。派遣元と派遣先の双方が書類を作成・保管する必要があります。
受給申請でよく見られる失敗の一つが、就業規則の転換規定が転換日よりも後に整備されたケースです。キャリアアップ助成金では、転換日よりも前(転換を決定する前)に就業規則の規定が存在していることが求められます。具体的には、「どのような基準を満たせば正社員に転換できるか」「転換の手続きはどうするか」が明記されている必要があります。「正社員への転換を行うことがある」という一行程度の記載では不十分と判断されるリスクが高いため、社会保険労務士等の専門家と連携して規定を整備することが強く推奨されます。また、就業規則の改定時には労働者代表の意見書添付と労働基準監督署への届出(常時10人以上の事業場)が必要な点にも注意が必要です。
助成金申請の第一歩は「キャリアアップ計画書」の提出です。計画書には①計画期間(原則3年)、②対象となる非正規労働者の類型・人数、③実施するキャリアアップの取組み内容などを記載します。提出先は事業所を管轄するハローワーク(公共職業安定所)です。
重要なのは「転換日の前日まで」に受理されていること。実務上は転換の1〜2ヶ月前には提出を完了させておくことが望ましいです。計画書提出後にハローワークから確認・修正依頼が入るケースもあるため、余裕を持ったスケジューリングが不可欠です。なお、計画書は一度提出すれば変更も可能ですが、変更も転換前に受理されている必要があります。
計画書が受理された後、実際に正社員転換を行います。このとき重要なのは転換日・転換後の雇用区分・基本給額を労働条件通知書(または雇用契約書)に明記することです。口頭での合意では証跡が残らず、後の申請で支給を受けられない場合があります。
転換後は6ヶ月間連続して雇用を継続し、かつその間の賃金を全額支払うことが求められます。この6ヶ月間に雇い止めや自己都合退職があった場合は支給要件を満たさなくなります。また、前述の「基本給5%以上増額」が適用される転換では、増額した基本給が6ヶ月間維持されていることも確認が必要です。
6ヶ月間の雇用・賃金支払い完了後、2ヶ月以内に支給申請書を管轄の都道府県労働局に提出します(書類はハローワーク経由でも可)。提出期限を1日でも過ぎると申請自体が受理されないため、スケジュール管理が極めて重要です。主な提出書類は以下のとおりです。
| 書類名 | 内容・備考 |
|---|---|
| 支給申請書(様式第5号) | 厚生労働省ホームページからダウンロード |
| 労働者のキャリアアップに係る取組実施結果報告書 | 計画書との対応を示す書類 |
| 転換前後の雇用契約書または労働条件通知書 | 転換の事実・賃金変更を証明 |
| 転換前後6ヶ月分の賃金台帳 | 実際の賃金支払いを証明 |
| 転換前後6ヶ月分の出勤簿またはタイムカード | 継続雇用を証明 |
| 就業規則(転換規定のある部分) | 労働基準監督署への届出受理印があるもの |
| 登記事項証明書(法人の場合) | 初回申請時に必要 |
| 生産性要件の計算書(生産性要件を申請する場合) | 損益計算書・総勘定元帳等の添付が必要 |
申請書類を提出してから支給決定通知が届くまでの期間は、おおむね3〜6ヶ月が目安です。審査中に追加書類の提出を求められることもあります。支給決定後、指定口座への振込が行われます。支給決定通知書は5年間保管が必要です(会計検査院等による確認に備えるため)。転換から支給決定まで全体のスケジュール感としては転換から約10〜14ヶ月後に入金されるイメージを持っておくとよいでしょう。
生産性要件とは、直近3年間で生産性が6%以上向上していることを指します。計算式は「(営業利益+人件費+減価償却費+動産・不動産賃借料+租税公課)÷ 雇用保険被保険者数」です。この指標が直近3年度で6%以上改善していれば、通常の助成額に20%の加算が受けられます。
例えば、中小企業が有期→正規転換を5人行う場合、通常なら60万円×5人=300万円ですが、生産性要件を達成していれば72万円×5人=360万円と、差額60万円の追加受給が可能です。生産性の計算には決算書(損益計算書・貸借対照表)と雇用保険被保険者数の確認が必要ですが、社内で計算できるため、事前に確認することをお勧めします。
キャリアアップ助成金には正社員化コース以外にも複数のコースがあり、一人の労働者に対して複数コースを併用することが可能です。特に相性が良いのが「賃金規定等改定コース」です。これは非正規労働者の基本給の賃金規定を改定して3%以上増額した場合に支給されるもので、1事業所あたり年最大240万円を受け取れます。
具体的には、正社員転換と同時に賃金規定を改定し、転換した労働者の基本給を5%以上(あるいはそれ以上)引き上げることで、正社員化コースと賃金規定等改定コースの双方を受給できる場合があります。ただし、同一労働者に対する同一賃金引上げへの二重計上は認められないため、専門家への相談が不可欠です。
助成金を最大限活用するには転換タイミングも重要です。年度をまたぐ場合、支給額が改定されることがあります。特に4月1日付で年度が変わる際に要件や支給額が変更されることが多いため、前年度末(3月末)での転換か新年度(4月以降)での転換かで受給額が変わる可能性があります。
また、複数名の転換を計画している場合は年度内20人という上限に注意が必要です。例えば25人を転換したい場合、年度をまたいで20人+5人と分けることで、上限に引っかからずに全員分の申請が可能です。このようなスケジュール設計も社会保険労務士に相談することで最適化できます。
最も多い失敗の一つが、キャリアアップ計画書の提出を転換後に行ってしまうケースです。「助成金があることを後から知って申請しようとしたが、もう転換してしまった後だった」という相談が社会保険労務士の事務所には絶えません。計画書は転換日の前日までに受理されている必要があるため、転換後の提出は一切認められません。
対策:採用計画・人事計画の段階で助成金の活用を検討し、転換を決定した時点で即座に計画書の準備を開始する。新たに非正規労働者を採用する際から、将来の正社員転換を見据えてキャリアアップ計画書を提出しておくと安心です。
小規模事業所では就業規則の整備が後回しになっているケースが多く、「転換の規定がない」または「転換を行うことがある、とだけ書かれている」ために不支給となるケースが増えています。審査担当者は就業規則の内容を細かくチェックし、転換の基準・手続き・転換後の処遇が具体的に定められているかを確認します。
対策:就業規則の正社員転換規定を専門家(社会保険労務士)に作成・点検してもらい、計画書提出前に整備を完了させる。常時10人未満の事業場でも就業規則の整備・保管は必要です(届出義務は10人以上)。
転換後6ヶ月以内に労働者が退職した場合、支給要件を満たさなくなります。自己都合退職であっても例外はありません。特に「正社員にはなったものの、業務負荷が増えた」「給与の期待値と乖離があった」などの理由で短期退職するケースが実務上見られます。
対策:正社員転換前に本人と十分なキャリア面談を実施し、業務内容・賃金・評価制度について丁寧に説明・合意形成を図る。転換後も定期的なフォローアップ面談を実施して離職リスクを早期に把握する。
賃金規定等改定コースは、非正規労働者の基本給の賃金規定を改定し、3%以上増額した場合に支給される助成金です。支給額は中小企業の場合、対象労働者が1〜3人で1人あたり5万円(生産性要件達成で6万円)、4〜6人で1人あたり7.5万円(同9万円)と規模が大きくなるほど増加し、1事業所あたり年最大150万円(生産性要件達成時180万円)が上限です。
正社員転換と同時に賃金規定を整備・改定することで、正社員化コースと賃金規定等改定コースの双方を受給できる可能性があります。例えば、有期契約社員を正社員転換する際に全非正規労働者の賃金規定を見直し3%以上引き上げれば、正社員化コース60万円+賃金規定等改定コース(人数に応じた額)を合わせて受給することが可能です。
パートタイム労働者の週所定労働時間を延長し、社会保険(健康保険・厚生年金)に加入させた場合に支給される「短時間労働者労働時間延長コース」も、正社員化コースと組み合わせやすいコースです。週20時間未満だったパートを週25時間以上に延長→社会保険加入→その後正社員転換、という流れで両コースを活用するアプローチが実務上見られます。支給額は1人あたり最大60万円(社会保険加入と正社員転換を組み合わせる場合)となる設計です。
キャリアアップ助成金は雇用保険財源の助成金ですが、IT導入補助金(経済産業省)や人材確保等支援助成金(厚生労働省)などの補助金・他の助成金と同時に受給することが可能です(原則として同一事業・同一経費への重複支給は不可ですが、別事業・別経費であれば問題ありません)。
例えば、正社員転換によって定着した人材に対してITツールを導入する費用をIT導入補助金で賄い、人材の定着・能力開発に投資するというサイクルを構築することで、助成金・補助金を最大限に活用した人材戦略を展開できます。こうした複合的な資金調達戦略の立案には、複数の補助金・助成金に精通したコンサルタントや社会保険労務士の活用が効果的です。